森(もり)は、大阪府交野市の地名。大字。森南(もりみなみ、1–3丁目)、森北(もりきた、1–2丁目)についても本項で述べる。
地理
森・森南・森北は交野市の中央部東側に位置する。森は山地部を東に伸びており、その西端に森南が接している。森南の北側にはJR片町線(学研都市線)を挟んで森北が隣接する。
周囲には、北に私部南・寺南野・寺・傍示、東に私部、南から西にかけて私市・天野が原町がある。
河川
- 小久保川
歴史
室町時代には、河内郡交野郡の郷名として森村郷という名が見られる。
江戸時代には森村といった。初め大阪西町奉行役知で、その後、幕府領となる。寛永10年(1633年)に山城淀藩永井氏領、万治元年(1658年)に旗本永井氏領、後に京都所司代永井氏領となった。貞享4年(1687年)に幕府領となった後、元禄7年(1694年)に相模小田原藩大久保氏領となった。
村の鎮守に川東神社があり、寺院は浄土宗須弥寺と同寺末の大道庵があった。
1881年(明治14年)、大阪府に属し、1889年(明治22年)、磐船村の大字森となった。
地名の由来
森宮内少輔という人物に由来するという話が地元に伝わる。それによると、延久年間(1069–1074年)、石清水八幡宮の荘園である三宅山の山司(荘司)として森宮内少輔という人物が派遣されてきた。宮内少輔は後の森に住んだが、彼は有徳の人で、荒廃していた警固観音を再興した。これにより名を上げた宮内少輔にちなみ、元々「無垢根」(むくね)と呼ばれていた村が「森の村」と呼ばれるようになったという。
沿革
- 1889年(明治22年) - 交野郡磐船村の大字となる。
- 1896年(明治29年) - 所属郡が北河内郡に変わる。
- 1939年(昭和14年) - 交野町の大字となる。
- 1971年(昭和46年) - 交野市の大字となる。
- 1978年(昭和53年) - 一部が森南1-3丁目、森北1-2丁目となる(森北1丁目は私部だった場所を含む)。
世帯数と人口
2024年(令和6年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
学区
市立の小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
施設
- 交野市立岩船小学校(森北1丁目)
- 関西スーパー 河内磐船店(森北1丁目)
- キリン堂 河内磐船店(森北1丁目)
- JA北河内 磐船支店(森南2丁目)
- 須弥寺(森南3丁目)
交通
鉄道
- JR片町線(学研都市線) - 河内磐船駅(森南1丁目)
バス
- 京阪バス - 河内磐船駅発着の路線がある。
道路
- 大阪府道・京都府道736号交野久御山線 - 森北1丁目と私部南4丁目の間を通る。
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年。全国書誌番号:83052043。




