橘 公清(たちばな の きみきよ)は、平安時代末期の武士。
官職は右馬允で、二条天皇の帯刀舎人を務めたのち讃岐国司・藤原季能の右衛府目代となった。
讃岐橘氏で後裔に橘公業がいる。父は従四位下下野守の橘公盛。
略歴
年代不明。二条天皇の帯刀舎人に就任。
仁安2年(1167)十月廿五日、父公盛の後任として讃岐国司・藤原秀能の目代右衛府に就任。
仁安2年目(1167)、讃岐国大内郡水主神社へ目代として参拝。
年代不明、父が下野国目代であったとき八田朝綱の妹を娶り、長男公頼が生まれる。
年代不明、氏家と号する。
年代不明、長男公頼が母方の伯父である朝綱の猶子になり、氏家の地を領して、氏家を名乗る。
脚注
参考文献
- 「大楠公の研究」 (徳化記念 ; 第4号),香川県女子師範学校校友会文芸部,(昭和10年)info:ndljp/pid/1092710
- 「史料通信叢誌 拾參」,[近藤瓶城] [編]〔1893〕-〔1898〕info:ndljp/pid/1920556
- 「香川県神社誌 上巻」,香川県神職会 編,(昭13年)info:ndljp/pid/1227836
- 「続日本古代史論集 下巻 春宮坊帯刀舎人の研究」(笹山晴生),1972,info:ndljp/pid/3013158




