武公(ぶこう、? - 紀元前677年)は、中国春秋時代の晋の分家曲沃の第3代当主、後に晋宗家第18代君主。姓は姫、諱は

生涯

陘廷の戦い

晋の公族で、祖父の桓叔(成師)から続く分家の曲沃の出身で、幼少の頃から曲沃の正卿の欒賓(靖侯の孫、欒成(欒共子)の父、欒枝の祖父、欒書の先祖)を傅に付けられるなど、桓叔に目をかけられていた。

父の荘伯の死後、曲沃の第3代当主となった称は、祖父と父の遺志を継いで宗家を乗っ取ろうとし、紀元前709年に起きた翼宗家の陘廷(翼の南)攻略戦の隙を突いて、宗家当主の哀侯と息子の小子侯を立て続けに滅ぼした。

この戦いの際、称は欒賓の子で、古くからの知り合いである欒成(欒共子)と再会し、「私はあなたを曲沃の正卿として、政を任せたい」と降伏を呼びかけた。しかし欒成は「もし私が私利によって人の道を破棄する(=曲沃の正卿になる)ならば、私はどうやって民に教えるのですか。その上、君侯に仕えて二心を持つならば、 君侯は私をどのように用いられるのですか」と厳然と降伏を拒否し、翼の臣として戦死した。称はこれを大いに悲しんだ。

国力増強

しかし、周王室の介入により宗家は晋侯緡を立てた上に、虢公林父を中心とする諸侯連合軍の侵攻を受けたので、称は曲沃に戻り、狐突・士蔿・荀息等の才能ある俊英達を家臣として登用して、改めて曲沃の国力増強に勤めた。その一方で、過去幾度となく周王室の介入を受けた事を踏まえ、蔿国など、周王室内の実力者らの支持を取り付けていった。

再統一

そして紀元前679年、今度は権謀術数の限りを尽くして虢公林父を引き入れ、周王室の介入を防いだ上で再度翼に侵攻して晋侯緡を滅ぼし、桓叔・荘伯以来の悲願である晋の再統一を成し遂げた。称は翼の倉庫にあった宝物を全て周王室に献じ、正式に晋侯として認められた。

この際、翼は絳と名を改めた。

紀元前677年死去。晋を再統一した功績から、諡の中では2番目に尊い「」を諡され、以後武公と呼ばれる。

参考文献

  • 『春秋左氏伝』

武公を題材にした小説

  • 宮城谷昌光『重耳』講談社、1993年



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