高 祚(こう そ、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。

事跡

曹操配下。建安20年(215年)の漢中征伐(張魯の討伐)で活躍した。

同年7月、張魯の弟張衛と配下の楊昂・楊任が、陽安関に立て篭って曹操軍を迎撃したため、曹操も当初はこれを陥落させることが出来なかった。そこで軍を引き揚げさせると、張衛らが守備を緩めたため、曹操は高祚と解𢢼(かい ひょう)に険しい山を越えて夜襲させた。高祚らは楊任を斬り、張魯を巴中へ敗走させた。

張衛は退却しながらも抵抗を続けたが、野生の鹿数千頭が張衛の陣営を叩き壊す事故(曹操軍の計略によるものかどうかは不明)に見舞われていた。一方、高祚は張魯を攻撃しようと進軍していたが、当初の目論見と違える形で、張衛軍と夜間に遭遇してしまった。しかし、高祚が軍鼓を打ち鳴らして味方を呼び集めると、張衛がこの音を敵襲の合図と勘違いし戦意を喪失したため、高祚は戦うことなく張衛を降伏させた。

以後、高祚に関する記述は史書に見当たらない。また、小説『三国志演義』には登場しない。

参考文献

  • 『三国志』魏書1武帝紀
  • 同魏書8張魯伝

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高 晞复旦大学历史学系

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