『階段を昇る裸婦』(かいだんをのぼるらふ、仏: Femme nue montant l'escalier)は1937年にジョアン・ミロが厚紙に鉛筆と木炭で描いたスケッチ。この絵はバルセロナのミロ美術館が所蔵している。
来歴
ミロはスペイン内戦のさなかにこの絵を描いた。彼は当時パリに住み、グラン・ショミエールの肖像画のクラスに通い始めていた。彼はカタルーニャで起こっている事態を表現しようと、人物画の制作に立ち返った。その心境は、階段を昇る歪んだ裸婦の姿で現わされた。この時期の他の作品には、『古い靴のある静物』と『スペインを救え』がある。
解説
ミロ美術館によると、「内戦の道義的な悲劇に対するミロの失望感が、人物の極端な変形、気だるげな手足、階段を昇ろうと苦難する様子に現われている。」すなわち人物の変形と苦難の様子は、スペイン内戦の反映だと解釈されている。画面の右上では窓か箱らしきものから、光線が室内に射しこんでいる。女は右手で梯子を掴もうとしている。この梯子は、脱出の象徴としてミロがいくつかの作品で使っているものである。女の露出した性器は大きく誇張され、『排泄物の山を前にした男と女』で描かれたものと似ている。
この『階段を昇る裸婦』は、マルセル・デュシャンの『階段を降りる裸体No.2』との関連性が指摘されている。1912年にバルセロナのダルマウ画廊で開かれたキュビスト展で、ミロは初めてこのデュシャンの作品を見ている。興味深いことに、デュシャンの絵は全くのオリジナルではない。それは、動物の動作を最初に記録した写真のひとつである、エドワード・マイブリッジの写真に触発されたものだった。マイブリッジが示した階段の女の動作は、デュシャンとミロの想像力を捉えただけでなかった。同時代のサルバドール・ダリもデュシャンの作品のオマージュを制作している。ダリの作品では、ミロ同様、モデルはやはり階段を昇っている。
展示
2011年10月に開催された展覧会『ジョアン・ミロ:脱出の梯子』で展示された。
脚注
関連文献
- Clavero, Jordi.J (2010), Fundació Joan Miró. Foundation's Guide, Barcelona: Polígrafa, ISBN 978-84-343-1242-5
- Joan Miró (1988), Obra de Joan Miró: dibuixos, pintura, escultura, ceràmica, tèxtils, Fundació Joan Miró-Centre d'Estudis d'Art Contemporani, https://books.google.co.jp/books?id=EHNKPQAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja 2011年10月5日閲覧。
- Jaques Dupin – Ariane Lelong-Mainaud. "Joan Miró. Catalogue raisonné. Drawings I 1901–1937" 2008. Daniel Lelong and Successió Miró




![マルセル・デュシャン「階段を降りる裸体 No.2」 [73111988]のアート作品 アフロ](https://preview.aflo.com/Z5f87w77fIB2/aflo_73111988.jpg)